醜さを誇る鬼のように走れ

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ご挨拶

自分の過去の記憶とか、

その他いろいろを書きました。

読んでいただけたら幸いです。


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テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

これを絶体絶命と言う、の、その4

男の部屋にあったサンダルはアタシの心を乱した。貧相で小さな安物。古びて汚れたサンダル。男の大きな足は到底包みそうもないそれは男とかつて暮らした女のものと容易に想像できた。サンダルに収まっていた足の持ち主の女はサンダルと同じように貧相で小さくて古びて汚れていたのだろうか。今アタシはサンダルを見つめ、昨日食べたまろんプリンの容器をもしさかさまに倒し、中身を床に落としてそしてそれを踏んでしまったら、どう思うか、サンダルを見ながら考えてみる。もし、そうしたら、美味しい、マロン プリンは食べられなく、なるのよ。
日曜日の朝、男はだらしなく眠る。朝の陽ざしに髭が美しいのを覗く。アタシが愛しているのは、この男では無くて、この男がアタシに与える安寧ではなかったのか。安寧だけが取り柄の関係なら、サンダルなど、取るに足らないことではないのか。アタシが求める安寧はサンダルに操作されるものだったのか。安寧の甘さには毒が潜んでいたのか。その毒が今、アタシを苦しめているのか。それともサンダルの女と自分が、両方とも毒だから、同じだから、苦しいのか。
安寧を形作る、男との完璧な夜は、きっとサンダルの女の、おかげなのだろう。
過去がどうだからどうだと言うのだろう。そんなことはどうでもいいのだろう。今、ここに男が眠る。それでいいのだろう。
いや、いいのだろうか。
サンダルの女に、男は、何をどうされたのだろう。そして男はサンダルの女に何をしたのだろう。
アタシはたまらなくなって、部屋のタンスや引き出しを探りだした。自分を笑いながら。大きな声で笑いながら。下品な声で笑いながら。男の衣類や鞄、くだらない取扱い説明書やDM、不味くて高いピザのチラシ、あさってひるがえし、女を探す。そこに女の痕跡を探す。愛された女の顔を探す。知りたくてたまらない。どんな女?髪の長さはどれくらい?身長と体重は?靴のサイズは?おっぱいの大きさは?足首とウエストはどんなふうにしまってて、どんなふうに緩んでいるの?どんな化粧品を使っていて、どんなパンツを履いているの?そして?どんなふうに抱き合ったの?
そして、床に男の財布をみつける。ああ、アタシが3万円抜いた財布。そうだ、財布。何かがみつかりそうに思い、確かめてみると、中には安易なポイントカードばかりで、さらに見ると、中には、札はなくて、じゃり銭ばかりで。
ああ、アタシが3万円抜いたから、そしてその後、お弁当屋さんでお弁当を買って、コンビニで煙草とまろんプリンを買ったから、もう、小銭しかないのだな。ないのだな。
優雅に眠る男の幼稚な顔を見て、アタシは完全にやられてしまった。それは、アタシの焦りだけから来るものかもしれない、アタシの羞恥心だけから来るものかもしれない、または虚栄心?多分それらの全て。
アタシは、この男を独占したくなっている。それは悪。どうしても出来もしないことだから。誰かが誰かを独占するなんて、出来ることなの?でも、過去も未来も、この男のすべてを知り、支配したいの。独占したいの。
安寧と引き換えのこの毒。愛すべきは毒。毒に飲まれてどうしたらいいか、アタシは絶対絶命で、解毒剤のような顔の男を見つめてみる。



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これを絶体絶命と言う、の、その3

「明日、俺、仕事休みなんだよ」
唐突に男が言う。
「だから何?」
無愛想に答えたアタシの顔を、男はにやりと覗き込んで
「どっか、出かけない?」
アタシは驚いて、問う。
「出かけたいの?」
「うん。出かけたい」
「どこへ行きたいの?」
「君の行きたいところ」
「アタシはどこにも行きたくないけれど」
「そっか、じゃあ、いいや」
諦めの良い男だ。あきらめが良いと、何故だか罪悪感が湧いてくる。これは結構なストレスで、男の顔を、ついしげしげと睨みつけてしまう。すると、男はアタシにキスをした。この人は、では明日、ずっとこの3LDKのアパートにいて、何をするわけでもなく、アタシの顔色ばかりうかがって、時折、アタシの足の指をなでたり、頭を抱きしめたり、キスしたり、するのだろうか。そうだ、この男はそうやって、全てを受け入れる性質がある。掃除もせず、言われなければ風呂にも入らず、トイレットペーパーが無くなっても替りをセットせず、ただ飼い猫のように丸く眠り、気まぐれで起きて、意味不明な鳴き声を出すアタシを受け入れる。
「俺、煙草が吸いたいよ」
男はよく煙草を吸っている。アタシもよく吸っている。白くて青い煙は狭い部屋を舞い、互いの顔を遮断し、それはまるで、雲の上にいるようで、アタシと男は顔を前後左右に動かして、ふふふと笑う。でも今、ここに煙草は無いな。
「あ、切れてるよ」
アタシが無表情に言うと、男は
「コンビニで今買ってくるよ。他に何かいるものある?」
「アタシ、アタシね、テレビのCMでやってた、まろんプリンが食べたいよ」
「え?俺、それ何だかわかんないよ。そんなんやってたっけ?」
「秋だけ限定のだよ。198円だよ」
「間違って買ってくると悪いから、一緒に行ってよ」
「え!いやだ」
アタシは、昼間に生理用品を買いに行った際に見た、店員の不審な目を思い出していた。
「散歩しよう」
その言葉はアタシのすべてを崩した。散歩ってなに?散歩というのは、必ず戻ることを前提にしたお出かけだ。そう、必ず、戻るということ。
アタシは、静かに、泣いた。涙は目じりの皺をつたって床に落ち、鼻水が唇に届いて、口の中に入った。男は驚いて
「ごめん、何か悪いこと言った?」
と言ったけれど、すぐに少し微笑んで、アタシの背中をなで、そのままにしておいてくれた。こんなふうに、アタシの機嫌で男を翻弄し、アタシはなにに復讐しているのだろうかと思う。復讐すべきは愛する男ではないのに。復讐?泣いたのは復讐?違うよ、嬉しかっただけ。
「アタシ、コンビニに行くよ。でもちょっと待って。着替えるよ。顔も洗うよ」
「うん」
「あ、でも、着替えがないよ」
「うん」
「何か貸してよ」
「じゃあ、Tシャツと短パン、適当に選んでよ」
アタシは、まるで結婚式の衣装を選ぶように慎重に選んだ。男の数少ない衣類。粗末な衣類。何度も着られ、男の匂いが染みついた衣類。それはアタシには少し大きくて、アタシの自尊心を形良く整えてくれた。
着替えて、粗末なカビだらけの玄関ドアを開けると、大粒の雨が降っていて、男は傘を取り出して広げ、アタシと一緒に使うつもりか、アタシを引き寄せた。二人で一つの傘に入った。比喩が浮かばないほどのこの安堵感に実は悲愴な毒が含まれている気がして、でも、それを自分は望むような気がして、そして大雨で、サンダル履きのアタシの足は濡れ、そうだ、この女物のサンダルは、アタシがここに居ついたときにはもうあったと気が付き、ああやっぱりと思うと、もう、コンビニのまろんプリンだけを考えている。アタシはきっと絶体絶命の瀬戸際にいる。まだ。




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これを絶対絶命と言う、の、その2

鍵を差し込みガシャガシャと金属音を派手に響かせ、錆びた玄関ドアを大げさに開けて、男は帰ってきた。
「弁当を買ってきたけれど食べる?」
そういうと、ネクタイを緩めて、畳にごろ寝しているアタシの顔を覗き込んだ。笑っている。男はアタシの顔を見て笑っている。一日中寝てばかりで昼も夜もあまり区別がつかない、それでいて特に若いというわけでもなく、顔が綺麗というわけでもなく、最終のどどめは会話の気が利いているというわけでもないアタシに、男は笑うのだ。なにか面白いのか、と不思議に思う。
「なにか面白いの?」
アタシが言うと、男は返事をした。
「A子がいると面白いよ」
そうなのか、アタシがいると面白いんだな。面白いというのは、良いことなんだろう。
男は、ダイニングテーブルの上に揚げ物だらけの弁当を乗せ、
「一緒に食べようよ」
と言った。
醤油のシミがこびりついた古いダイニングテーブルの上には、古新聞や各種DMやテレビのリモコンや昨日食べたアイスクリームカップの蓋なんかが乗っている。隅に寄せると、ほんの少し空間ができた。
そうか、一緒に食べるんだね。そうだよね、一緒に暮らしているんだもの。
男はアタシに割り箸をくれた。そして弁当の蓋を開けた。ふたつぶん。ふたりぶん。男のお弁当の蓋と、アタシのお弁当の蓋を。
それから、小さなビニールの袋に入ったソースを取りだして器用に隅を切り取り、中のエビフライにソースをかけた。これも、男のお弁当のとアタシのお弁当の。ふたつぶん。ふたりぶん。

男はいつも地味なスーツに地味なネクタイをしてサムソナイトの鞄を持って、朝に出かけて行き、夜に食料を持って帰ってくる。アタシはただこの部屋にいるだけ。
男に促されれば、いつ磨いたかわからない歯で弁当を食べ、脱がされれば男と裸になり寝て、連れていかれれば風呂場で体を洗われる。ただ、流される。なんという心地よさか。

何も考えない。ただスナフキンのようにふらりとここに来たアタシ。ムーミンママのパンケーキより、男の買ってくる弁当のほうがおいしいように思った。ただ、アタシの横で咀嚼する男。このままいつまでもこの生活が続けばいい。明日の事も昨日のことも考えない、ただ、今だけのこの瞬間に生きて、それで終わり。

ああでも、思うようにはいかないもので、アタシはそうだ、生理になってしまったのだった。今朝。股から流れる血液を生理用品で抑えなければとなったのだ。アタシは替えのパンツも持っていなくて、いつもは男のボクサーパンツを借りて履いたりしていたのだが、男のボクサーパンツに女の生理用品をくっつけるのは大変そうで、これはもう何とかしなければならないと思った。だから、コンビニに行って、必要なものを買おうと決めた。アタシは、男が朝の髭剃りをしているうちに、こっそりと財布から金を抜いた。薄い財布には3万2000円くらいが入っていて、アタシはそのうちの3万円を抜いた。男は気が付いたのか気が付かないのか、わからないままいつものように出かけ、アタシはいつものように残された。股にティッシュをはさんだ状態で、アタシは鍵もかけずに男の部屋を出て、コンビニを探し、女物の生理用パンツと生理用品を買った。1680円だったから、金は余った。これをどうしようかと思った。

男と暮らして初めて迷ったことで、不快だった。何かを決断しなければならないのは不快だ。気分が悪い。男の部屋に戻って、買ってきたものを使って、残りのお金を見た時、軽い財布に驚く男の様子を想像し、同時に、何かが起こるかもしれない予感に気味が悪い自分が可哀そう思った。

そして今、男はアタシを見て笑っている。財布に入っているお金が、少なくなっていることに、気が付かなかったんだろうか。わからない。もしかしたら、アタシがお金を抜いたこと、あれは夢?アタシの股のナプキン。それも夢?アタシがオンナだということ、それも夢?

男が笑うのでアタシも笑って、弁当を食べたら、しみじみ、アタシはこの男を好きだと思った。たるんだ胸に生える胸毛を思って、好きだと思った。人を好きになることは、絶対絶命につながると思って、アタシはあせった。




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これを絶体絶命と言う

ジリジリ凍りつくアタシと歌ったアイドル歌手は誰だったか、どうしても思い出せない。どうしても思い出せないのはなぜか。思い出したいのか。歌って踊って喝采を浴びる歌手。一挙手一投足を覗かれてあれこれ思案される。それは誰か。それはジリジリと凍りついているのか。
私は違うのか。何と違うのか。

私は一人、男の住まいにいて、それは古い3LDKで、男は仕事に出ていて、誰からものぞかれず、更には、壁にかかる室温計は28度を指し、とても私を凍らせるとは思えない。見られないことは私を自由にし、同時に弛緩させる。時間も、時間に伴う食事も、食事に伴う排泄も、排泄に伴うリズム感も、何もかも忘れて、忘れるからこそ、わしづかみに自分を感じられる。ほかの何物からも拘束されない自分を。

ただ、同居する男は、昼間勤務するサラリーマンらしく、朝出かけて、夜帰ってくるから、気配は感じる。いや、気配だけの時もあれば、そびえたつこともある。私が彼を眠らずに認知するときもあるということ。一緒に食事をしたり、一緒に会話したり、一緒に風呂に入るときもある。
いることを気が付いたり気が付かなかったりする。それだけのこと。

この部屋には大きな窓がある。小さなベランダに続くそれは、大きな空を映す。高台に建つこのマンションは、視界を遮るものがなにもない。ええ、たまたまね。
男が置いていったマイルドセブンを一本指にはさみ、100円ライターで火を点ける。青い白い、その空のような煙が、部屋と私の肺を汚すと、くらくらと眩暈がした。

私は今、どんな格好をしているのだろうか。髪はひどく乱れていないだろうか。鏡を見たのはいつのことだったろうか。そもそも鏡なんて、この3LDKにはあるのだろうか。3LDKにある貧相な家具類、そうたとえば、安物のタンスやダイニングテーブル、冷蔵庫やレンジ、そんな物体たちのミテクレと、私の恰好、どっちがどうで、だからどうだというのか。
吸い込んでは吐き、吸い込んでは吐き、規則的にかつ速度早く、すると、あっという間に、フィルター近くまでに煙草は短くなって、私はそこにあるアルミの灰皿にもみ消した。
また眠ろうと思ったが、散々眠ってばかりいるので、眠れないようにも思える。試してみようかと思ったけれど、腹が減っていることに気が付いて、やめた。
薄汚れた畳と大きな押入が陣取る6畳の和室のすぐ隣にある台所は、何年もの間に厚くなった油汚れのタイル壁のシンクがあり、大きな音を立てる冷蔵庫があり、実用本位なデパートの景品だらけの食器棚があり、4人がけのテーブルがある。

遠慮なく冷蔵庫を開けると、腐った牛乳の匂いがした。そこの下のホウレンソウは、溶けている。食べたら、どうなるだろう。マヨネーズとチューブのワサビはあるが、マヨネーズとワサビだけを吸い込むのは、不味そうだ。やってみるのはやめる。シンク脇に放置された花柄の炊飯器でご飯を炊いたら、さぞ良い匂いがするだろう。ただ、米がなければご飯は炊けない。コメを探す。コメ、コメ、ああ、あるわけがない。あきらめて、また、マイルドセブン。そしてそれは、最後の一本。これを絶対絶命と言う。



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大丈夫ですか?

何かにつけて昔を思い、恨んで、悲しんで、

良いことなど忘れて、

今日の幸せまで浸食した気分になる最悪。


アタシは、何をどうしたいの?

どうしたらいいの?


それをみつけたいのに、みつけられなくされた恨み。

もう開放して。


大丈夫ですか?


ええ、大丈夫です。And You?


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温泉で消毒されるものは何か

妹の尻にはただれた皮膚病があった。

だから、その小学生の頃は、夏になると悪化するその皮膚病が良くなるように、その妹のために、妹と母と私と、母の姉と母の姉の夫と、母の姉と母の姉の夫の子供たちと一緒に、蔵王温泉に、よく湯治にでかけた。
夏の蔵王温泉はパウダースノーを求めるスキー客が到来しないから、地元山形市住民の行くには恰好の避暑地で、皮膚病に効果があるとされる硫黄成分の強い温泉は人気があった。

夏の行楽に、母は父を連れなかった。
「お前がもう少し早く帰ってきたなら、Y子のおしりは、あんなにならなかった」
母は父を責めるだけで、連れなかった。

父は、家族を置いて、ふらりと出て行ってしまう人だったようだ。母が私を妊娠しているときも、出て行って、そして少し戻って、また出て行って、そのうちに妹が産まれて、また出て行った。数年すると、また、戻った。

朦朧とした幼子の私は、当時を認知できない。当時を知る母の姉は何も語らない。私も聞かない。

ただ父は競馬が好きで、その贅沢な趣味のために、サラ金から金を借りたり、会社の金に手を付けたり、奔放な行動をとる方向性の特殊な人だったようだ。母から聞いた。

何度目かの出奔。母と私と妹を残して、父が家出した際、生活のために、母はヤクルトの配達婦となった。
私はまだ幼稚園前。妹はオムツがとれない赤ん坊だったように思う。母が出かけると二人で長時間留守番をした。
父の兄からもらった赤い小型のテレビのチャンネルをNHKの子供教育番組に合わせ、母は出かけた。
私と妹は黙って番組を見た。
しばらくすると、幼児番組は終わってしまい、空腹と退屈が襲ってくる。
私は妹と遊んだ。
本家の物置小屋を改造した六畳一間の暗い家で、私は妹と遊んだ。
鬼ごっこは順番に鬼になって遊んだ。
馬ごっこは私が馬になって妹を乗せて遊んだ。
疲れると空腹でも寝てしまった。
いつの間にか帰ってきていた母は、アタシと妹に、ご飯を一膳と、ピーナツ味噌を親指の先くらい、くれた。

テレビで見る子供の食卓には、ご飯とみそ汁とおかずがあった。時間になると、おやつもあった。おやつは鮮やかなオレンジ色の液体と白いケーキ。ぬいぐるみにも、おやつは与えられていた。

貧しい食事はすぐに終わる。誰も何も言わない食事。犬猫のように食べ、そのまままた眠る。

妹の尻のただれは、そんな生活の証拠のように、強くしつこく現れた。おむつを長時間替えなかった垂れ流しの末なのか。妹の糞尿を私はすっかり覚えていない。綺麗にそれは清純と言えるほど覚えていない。小さな私をしか頼れなかった妹のことを、私は頼っていたのか。

後年、父はいったん戻った。私が小学2年生の頃のように思う。母は父を責めた。更にすべてを責めた。女王が下僕を蔑むように責めた。妹の尻を言う。母は垂れ流しを父のせいだと言った。過去を責めて気をはらしたいのか。それで妹の尻は平らな皮膚を戻せるのか。

夏が匂う湿度のころになると、蔵王温泉に毎年のように行った。

妹と母と私と、母の姉と母の姉の夫と、母の姉と母の姉の夫の子供たちと一緒に行った。母は父に
「お前なんか来るな」
と言った。

私たち一家は、山形すずらん商店街奥にある、父の実家の物置改造小屋に住んでいた。母の姉たちは迎えに来た。妹と私は母に言いつけられた荷物を持って、家を出る。父は家から出てこなかった。いや、家にいたのか、駅前のパチンコ屋に行ったいたのか、どうだったのだろう。

山形駅前のバス停に歩き、蔵王温泉行のバスに乗る。

赤い線が入った山形交通の大きなバスは頼もしく、頭に蔵王温泉と書いてある。これに乗れば確実に蔵王温泉へ連れて行ってくれるのだと説得させられる。いつも濡れているような色の木製の床に日焼けた赤茶色の座席。白い吊り革。運転手はいつも中年の男。はしゃぐ従兄弟たち。天気を喋る母と母の姉。寡黙な母の姉の夫。私と妹は並んで座り、窓から景色を眺めた。

運転手の民謡のような掛け声でバスは動き出す。すると窓からは大きなデパートが見えた。
デパートが終わると、公立男子高校南高校の横を抜け、緑が多くなってくる。右に揺られ左に揺られ山に向かっていく。ただ黙り、されるがままにするしかない幼子の無思想のまま、バスが蔵王温泉へと私たちを連れて行く。

ここは留守番のあの部屋とどこが違うのか。何も違わないのではないだろうか。私と妹だけが、こちら側の世界にいて、あとの人間は皆、そちら側にいる。

まだ温泉街が見えないうちに、強い硫黄のにおいがしてきて、大人たちは満足そうな顔をする。従兄弟ははしゃぐ。私と妹は黙る。

温泉街のバス停につくと、やれやれと言って、皆降りた。終点なのでほかの乗客も降りる。無計画に開いて道路や橋や家や旅館をパズルのように配置した温泉街は、名物のいが餅を蒸かす米の匂いがした。おおきなアルミの鍋を往来に置いて玉こんにゃくを煮る匂いもした。ただそれらは、硫黄の匂いに混じっている。

混じるのは匂いだけではなくて、温泉街の豪華な旅館の堂々も、傍らにくっつく酔客を吸い込む傾いたスナックも、シーズンオフの貸スキー屋の看板の剥げたペンキも、
母の嬌声も母の姉のつくり笑顔も母の姉の夫の無表情も従兄弟の童顔も妹の尻の皮膚病も、
木々の緑も青い空も日の光も、
私たちの乗せたバスも、温泉観光協会も、
私の無感動も
全て
混じっていく。
いない父のわからない意志も、私の目や耳に広がって、混じる。

誰がかき混ぜているのだろう。多分、私がかき混ぜているのだろう。かき混ぜ方は十分だろうか。

母の姉の夫が勤務する市役所の、職員福祉施設に、私たちは何泊かすることになっていた。どっちだこっちだと言いながら、旅行客相手の土産物屋などを振って向う。

迷路のような坂道を上り、T字路を曲がり、温泉旅館の炊事場の裏を通り、八百屋を見かけ、職員福祉施設は小さな下宿屋のような二階建てで、母の姉の夫は「おお、ここだ」と言い、一同は引き戸を開けて狭い土間に靴を脱ぎ、あがって荷物を置いた。

「さっそく風呂に行くべねえ」
母の姉は菩薩様のような笑顔で言う。

職員福祉施設には風呂は無い。簡単な台所と押入に寝具だけ。頼みの温泉風呂は、共同浴場に行く。

「タオルを持ってんげ。ゴミも忘れんな」
母は得意顔で私と妹に言った。

言われた通りに腕に抱えた私と妹は、大人や従兄弟の後ろをついていく。ただついていく。
ついていくしかないので、ついていく。

途中に川があった。

石造りの粗末な橋を渡り、皆で川岸に川をながめる。川は狭い。数メートルだろうか。川の水は温泉で、強い硫黄の匂いともうもうとした煙を放っていた。ここにいると、消毒されている気になる。

消毒されるものは何で、残る毒じゃないものは何なんだろうか。それは、毒じゃないなら薬なんだろうか。

「投げろ」
母は私と妹に命令した。

家から持ってきたゴミをここから投げ捨てろと言うことだ。私は、父が読み終えた文芸春秋をごみとして家から持たせられていたし、妹は、遊ばれすぎて髪の毛の抜けたリカちゃん人形を持たせられていた。川には他にごみはない。ただ、硫黄にも負けない雑草が川岸に強く生えているだけ。

「おもしゃいおもしゃい」
「おもしゃいおもしゃい」

「ごみは川に投げるのが一番だ」
「ごみは川に投げるのが一番だ」

母と母の姉は満足そうに笑う。その視線が私と妹に移ったとき、私と妹は、川に、ゴミをスローした。

ゴミたちはうまい具合に川岸と川水ぎりぎりの辺りに落ち、転がって、温泉水に浸った。

母と母の姉は、声を出して大きく笑った。

川は全てを消毒するのか。硫黄温泉なら猶更か。

読み終えた文芸春秋。遊び飽きられたリカちゃん人形。それらはゴミで、川で消毒され、どこへ行くのか。
ゴミの無くなった家は、ゴミではないのか。

今まで手の中に抱えていた物が今はその先にあって違う世界にある。
母と母の姉は同じように笑っている。
私と妹は呆然と眺めている。
母の姉の夫は律儀に表情を変えず、従兄弟たちはゴミを投げろとは言われない。

「さて、行ぐぞ」
母は全体を促し、共同浴場へ向かう。

全体はゴミを離し、放ち、風呂に入るのだ。風呂に入って、しみじみと妹の尻を見るのだ。
妹は恥ずかしがり、母は父への怒りを再燃させ、私は両者を交互に見るだろう。





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電電公社の相澤に男を学ぶ

相澤(仮名)(以下仮名表示略)のことを書く。
相澤は母の男だった人。
紅花会の酌婦時代の母と知り合い、意気投合し、つきあって、
母が小さなスナックをはじめる時に保証人になった人。

この男は、無知で、想像力の欠ける、思いやりのない
最低な人間だった。

今、まだどこかで、のんきに暮らしているだろうか。


いいだろう。
そんな人間もいて世の中だ。
相澤のおかげで私はだいぶ学習した。


母の経営するスナックから、よく二人は喧嘩しながら帰ってきた。
相澤は酔っている。
居丈高に威張る。
ろれつがまわらない千鳥足は醜い。

私を呼んだ。
「お前は誰のおかげで飯が食えていると思うか。俺のおかげだ。
 俺は保証人になってやっているんだ」
相澤は何を求めているのか。中学生の私にどんな返答を期待しているのか?

女に誉めてもらいたい、賞賛をもらいたい、駄々っ子なのか?


相澤は50代前半、私は中学三年生だった。
中学三年生に何を言えというのか?

私は彼のそんな子供っぽい言葉は許してやれても、
どうしても許せないのは、
私の進路にまで口をはさんだことである。

私は、母の水商売を見て、女が地に足を付けて生きる術として、
何か手に職をつけたらいいのではないかと考えた。
そこで私は、小学生のころから裁縫が好きだったので、裁縫で身を立てたいと考えた。
不器用だけれど、一生懸命練習すれば、何年かすればきっと、
技術が身に付くのではないかと希望を持った。
普通高校では無く、和裁の専門学校に行きたいと、私は母に言った。

当時の地方都市山形では、和裁の専門学校とは、普通高校に行けない
成績の悪い娘が行くところという偏見があって、
母は困惑し、相澤に相談したらしい。

ある日、私は酔って家に来た相澤に呼ばれ
「技術なんて、企業に入ってから研修で身につけるものだ。
 お前は考えが甘い。ダメだダメだ」
と言われた。母も
「和裁なんかで食っていけるものか。バカ」
と言った。


相澤は、電電公社に勤めていた。そして、家では相澤の両親がさくらんぼ畑をやっていて
羽振りが良かった。
母子家庭の中学生の娘が自活のために考えた案を笑った。
そして母はそれに同調し、私を責めた。
私は、どうにもできなかった。

私は、母が命令する市内の進学女子高に進学した。
言う事を聞かないなら、金返せ、離婚の時、別にお前を引き取りたかったわけじゃない、
義務で育てているんだから。
母はそう言った。


その後も母と相澤の恋愛は続いていた。
相澤の本妻からの度重なるいたづら電話に電話番号を変えても、
母は何を相澤に求めたのか。


相澤と母はよく金のことで喧嘩をしていた。
一緒に寝た旅館の枕元に置いた相澤の財布から
母が金を抜いたとか抜かないとか、
証拠も無いようなそんなことで、醜く争っていた。
相澤は母を泥棒となじって、返せと迫った。
母は取ってない取ってないと反抗した。


どこまで続くかわからない堂々巡りの口論は、やがて相澤の酔の眠気で終わる。
私は、一部始終をよく聞いた。


相澤よ、お前、愛人が自分の財布から数万円抜いたとしても、
黙って抜かせてやれ。
知っていて知らないふりをしてやるのが、遊び人の男ってもんだろう。
それを責めるなら、母を愛人とするな。
引け。


私は、相澤を知り、こんな男は御免だと思った。
母は、男を見る目が無い。でも、私はそんな母を見てきて、男を学んだように思う。

私は、私が男の財布から金を抜いたとしても、文句を言われるような女にはなりたくないし、
文句を言うような男とはつきあいたくない。


電電公社の相澤。
下の名前は知らない。






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醜さを誇る鬼のように走れ

住宅街に一件ぽつりとある蕎麦屋に座る私と母と妹。

蕎麦屋は古い。

一度も洗濯したことがないのかと思われるような色あせた暖簾、入り口の土間は湿った埃、黒く擦り切れた畳、幾人もの客の尻を乗せ続けて潰れた座布団、天井に数か所ある電燈はところどころ点かない。
暗い。臭う。
見える厨房の青いゴミバケツ。腐った食べ物。
年老いた女店主の口紅だけがなまめかしく紅く、差し色として光る。

母は鴨蕎麦を頼んだ。アタシと妹はたぬき蕎麦を頼んだ。
口紅は注文を聞くと奥に下がっていった。

母が口を開く。
「がんばってきちんと生活しなくちゃならん。子供たちは元気か。S男さんは元気か。ちゃんと食わせているか」
母は私に質問した。

私は23年前にS男と結婚し、実家を出て、実家のある山形市の近隣にある仙台市で夫と娘二人とともに普通に暮らしている。
もう、人生の折り返し地点を過ぎただろうか。

一方、母は、もうすっかり年老いた老婆だが、彼女は彼女が中年の頃に、博打打の夫、つまりは私や妹の父と離婚して、引き取った実子である私や妹を滅茶苦茶にいじめながら自由に暮らしてきた。

きちんと生活とは何を指しているのだろう。

私は、母に食事を与えられなかった幼い自分と妹を思い出した。あれは、きちんとしていると言えるのだろうか。一般家庭で多く食べられているおかずを全く知らず、青春時代、どんなに恥ずかしい思いをしたことか。

肉じゃがって何の事?

今日は、妹と一緒に米沢の美術館へ遊びに行こうということになって、妹や母の住む山形市まで仙山線に乗って来た。
話を聞きつけた母が、母の姉、つまりは私と妹の伯母の具合が悪いから見舞いに行けと言うので、伯母がもう長くないとかなんとか言うので、仕方なく伯母の家まで顔を見に来たんだ。伯母の家も山形市にある。

当然のように伯母の家にやってきた母。やがて、見舞いの帰り道、こんな蕎麦屋に一緒に入るなんて。胸糞が悪い。
眩暈だ眩暈。

アタシが黙ると、妹が
「A男ももうすぐ大学生だ~お金がかかって困るけど何とかしなくちゃね~」
などと言って時間を稼いでくれた。

A男は妹の一人息子だ。妹の最初の結婚でできた子。妹はA男を連れ子として二度目の結婚をした。再婚相手T男は、妹の実家の近くに家を建てた。妹の実家とは私の実家で、今は母だけが一人で住んでいる家。
母はとても喜んで、孫のA男をかわいがっていると聞く。そしてT男は母のことをよく面倒をみてくれているようだ。雪が降れば雪かき。病院の送り迎え、買い物。雑用。

「早いもんだね。A男が大学生だなんて」
当たり障りのない返答をする私に、母が身を乗り出してきた。

「それで相談なんだげどよ、アタシも終い支度をする年になったがらよ、いろいろ考えてよ、アタシの老後の面倒はT男一家に頼んでよ、アタシが死んだらあの家をT男一家に譲ることに約束してよ、あかりはY子から幾らか現金をもらって、喧嘩しないようにしなくちゃなんねえ」

あかり・・・私の名前、憶えてんだ。ふ~ん。
Y子・・・・・妹の名前、憶えてんだ。ふ~ん。

母は、私や妹を呼ぶとき、どっちがどういう名前だかを気にしなかった。適当に呼んで、自分の名前じゃないからと返事をしないと怒鳴った。どっちだって同じだろ。関係ない。屁理屈を言うな。何様のつもりだ。金返せ。そもそも、お前には本当に迷惑しているんだ。

個人として一人に一つある名前という持ち物を、母は私たちには否定した。


「あかりはY子から幾らか現金をもらって、喧嘩しないようにしなくちゃなんねえ」

喧嘩?私はY子とほとんど喧嘩らしい喧嘩をしてことがない。喧嘩していたのは、お前とお前の元夫や、お前とお前のたくさんいた彼氏の方だろう。

現金?そうですか、ああそうですか。要するに、老後の面倒を家屋敷の相続と引き換えに妹夫婦にみてもらおうと言うことだね。私は、妹からお金をもらって、相続放棄しろということだね。

勘違いしている。この女は。

あの家を、自分のものだと思っているのが勘違いなんだよ。

あの家はあんたがあんたの夫だった男、つまりは私と妹の実父、と離婚する際に、同居していた家を売った金で買ったんだろう。
同居していた家は、あんたの夫だった男の家の、先祖代々の土地に建っていた。
その駅前の土地は高く売れて、金を分けて離婚し、あんたは今の家を買ったんだろうが。

元はと言えば、今の家の購入資金は先祖代々の土地を売った金でできている。
先祖代々の土地は私と妹にも権利があって、あんたにだけ帰属するわけではない。
あんただけにどうこういう資格があるわけじゃない。
あんたが死んだあと、アタシと妹で相談する話だ。
あんたの介護とは別の話。
勝手に気分の悪いストーリーをつくるな。

T男一家から金をもらえって、そんなこと、アタシがY子の再婚相手に言えるかよ。連れ子をつれた妹と結婚して、妹の実家近くに家を建て、わがままなあんたみたいなのの面倒をみてくれる優しい妹の再婚相手に、金くれなんて、言えないわよ。あんたらしいよ。そういう、人の気持ちがわからないところ。

私が妹の再婚相手T男に金を要求して、もしT男が気分悪く感じたら、T男と妹に微妙な亀裂が生じるかもしれない。妹の幸せのためにそれは避けたい。妹がやっとつかんだ新しい家庭を幸せなものにと私は願っている。妹とは今まで仲良くやってきた。過酷な運命に一緒に立ち向かった仲だ。一生、うまくやっていきたい。あんたなんかのために、台無しにしたくない。

何でY子から金を出させようとするんだよ。金を出すべきはお前だろうが。
私に相続放棄させたいならお前が出すべきだろうが。

お前は、家屋敷を譲るんだからと大きな顔でY子とT男に介護してもらおうという腹だろう。

今更ながら、あんたには愛想が尽きた。
相続放棄ね。
立ち向かってやろうじゃないの。

もう私はあんたに怒鳴られて泣いているだけの子供じゃない。
負けない。

食事を満足に与えられずいつも飢えていたこと、町内のお祭りに友達と出かけても私だけ夜店の駄菓子を買うお金がなかったこと、学校の上履きを買ってもらえなかったこと、成長期で足が大きくなっても大きいサイズの長靴を買ってもらえなくて指が痛かったこと、高校の制服はやっとを買ってもらったがあの怒声、私の名前で奨学金を借りて母がつかったこと、修学旅行に行くなと言われ積立金をもらえず本当に行けなくなりそうだったこと、お前を育てるのにかかった経費を返せといつも言われていたこと、経費には食べる着るだけじゃない、部屋代も含まれると言われたこと、母の生活は派手で、皮のスーツを着たり着物をつくったり毛皮のコートを着ていたこと、普請が好きで家具を買うと合わせて家を改築していたこと、

私は絶対に忘れない。

母は喋り続けている。私と妹は黙っている。胸が苦しい。体は震えた。
口紅がたぬき蕎麦と鴨蕎麦を持ってきた。
母の戯言を無視して食べるたぬき蕎麦は、ぬるくて味が薄くて麺はのびていた。不味い。非常に不味い。こんなに不味いものを客に供す口紅。でもきっと、飢えていた子供時代の私なら喜んだのだろう。

もう飢えていない今の私は、たぬき蕎麦を不味いと思い、母に立ち向かっていける。
それは喜びだろうか。

喜びではない。
苦しみだろう。
でも、立ち向かえ。

今の私は醜い鬼のような顔をしているだろう。でもそれを誇りに思う。
力の限り走ってみせる。



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チョコレートを投げる

母は「栄養のバランス」という感覚の無い人だった。

食べてしまえば無くなってしまうものに、

注意をはらうのはばかばかしいという考えの人だった。


幼いころの食事は、

「ご飯+ふりかけ」「ご飯+ピーナツ味噌」「ご飯+味噌汁」、

必ずこの三種類のうちの一種類だった。


それも、日に三度というわけではなく、一度だったり二度だったり、適当だった。

幼い私にはそれが当たり前で、特別にどうこういう感情は持たなかった。

3歳くらいだったろうか。

母が気まぐれに与える食事を、私は静かに食べた。


しかし、たまに、だが、チョコレートを食べられるときもあった。

家に母の知り合いが来ると、母は、隠しておいた板チョコを私に投げつけるのである。

池の鯉に餌を与えるように、ポンと私に投げつけるのである。


「ああ、これで、うるさくなくなる。お喋りに邪魔が入らない。

チョコレートってのは便利なもんだ、食ってる間は静かだからな」


母は大満足顔でそう言い、知り合いとお茶飲み話を始める。

私は足元の板チョコを拾って食べ始める。


私は、うるさい子どもであっただろうか。


うるさいか、うるさくないか、そのことよりも、

チョコレートを投げられる屈辱に、母が私をうるさいと判断している屈辱に、

泣きたい気分になった。


でも、食べた。言葉は何も発しないで。

チョコレートはおいしかった。


私は、プライドを捨てて実を取ることを学んだ。

もし反抗して争いになればチョコレートを食べられないことにもなりかねない。

そうしたら、空腹の苦しみがやってくる。






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