醜さを誇る鬼のように走れ 2015年03月
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電電公社の相澤に男を学ぶ

相澤(仮名)(以下仮名表示略)のことを書く。
相澤は母の男だった人。
紅花会の酌婦時代の母と知り合い、意気投合し、つきあって、
母が小さなスナックをはじめる時に保証人になった人。

この男は、無知で、想像力の欠ける、思いやりのない
最低な人間だった。

今、まだどこかで、のんきに暮らしているだろうか。


いいだろう。
そんな人間もいて世の中だ。
相澤のおかげで私はだいぶ学習した。


母の経営するスナックから、よく二人は喧嘩しながら帰ってきた。
相澤は酔っている。
居丈高に威張る。
ろれつがまわらない千鳥足は醜い。

私を呼んだ。
「お前は誰のおかげで飯が食えていると思うか。俺のおかげだ。
 俺は保証人になってやっているんだ」
相澤は何を求めているのか。中学生の私にどんな返答を期待しているのか?

女に誉めてもらいたい、賞賛をもらいたい、駄々っ子なのか?


相澤は50代前半、私は中学三年生だった。
中学三年生に何を言えというのか?

私は彼のそんな子供っぽい言葉は許してやれても、
どうしても許せないのは、
私の進路にまで口をはさんだことである。

私は、母の水商売を見て、女が地に足を付けて生きる術として、
何か手に職をつけたらいいのではないかと考えた。
そこで私は、小学生のころから裁縫が好きだったので、裁縫で身を立てたいと考えた。
不器用だけれど、一生懸命練習すれば、何年かすればきっと、
技術が身に付くのではないかと希望を持った。
普通高校では無く、和裁の専門学校に行きたいと、私は母に言った。

当時の地方都市山形では、和裁の専門学校とは、普通高校に行けない
成績の悪い娘が行くところという偏見があって、
母は困惑し、相澤に相談したらしい。

ある日、私は酔って家に来た相澤に呼ばれ
「技術なんて、企業に入ってから研修で身につけるものだ。
 お前は考えが甘い。ダメだダメだ」
と言われた。母も
「和裁なんかで食っていけるものか。バカ」
と言った。


相澤は、電電公社に勤めていた。そして、家では相澤の両親がさくらんぼ畑をやっていて
羽振りが良かった。
母子家庭の中学生の娘が自活のために考えた案を笑った。
そして母はそれに同調し、私を責めた。
私は、どうにもできなかった。

私は、母が命令する市内の進学女子高に進学した。
言う事を聞かないなら、金返せ、離婚の時、別にお前を引き取りたかったわけじゃない、
義務で育てているんだから。
母はそう言った。


その後も母と相澤の恋愛は続いていた。
相澤の本妻からの度重なるいたづら電話に電話番号を変えても、
母は何を相澤に求めたのか。


相澤と母はよく金のことで喧嘩をしていた。
一緒に寝た旅館の枕元に置いた相澤の財布から
母が金を抜いたとか抜かないとか、
証拠も無いようなそんなことで、醜く争っていた。
相澤は母を泥棒となじって、返せと迫った。
母は取ってない取ってないと反抗した。


どこまで続くかわからない堂々巡りの口論は、やがて相澤の酔の眠気で終わる。
私は、一部始終をよく聞いた。


相澤よ、お前、愛人が自分の財布から数万円抜いたとしても、
黙って抜かせてやれ。
知っていて知らないふりをしてやるのが、遊び人の男ってもんだろう。
それを責めるなら、母を愛人とするな。
引け。


私は、相澤を知り、こんな男は御免だと思った。
母は、男を見る目が無い。でも、私はそんな母を見てきて、男を学んだように思う。

私は、私が男の財布から金を抜いたとしても、文句を言われるような女にはなりたくないし、
文句を言うような男とはつきあいたくない。


電電公社の相澤。
下の名前は知らない。






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醜さを誇る鬼のように走れ

住宅街に一件ぽつりとある蕎麦屋に座る私と母と妹。

蕎麦屋は古い。

一度も洗濯したことがないのかと思われるような色あせた暖簾、入り口の土間は湿った埃、黒く擦り切れた畳、幾人もの客の尻を乗せ続けて潰れた座布団、天井に数か所ある電燈はところどころ点かない。
暗い。臭う。
見える厨房の青いゴミバケツ。腐った食べ物。
年老いた女店主の口紅だけがなまめかしく紅く、差し色として光る。

母は鴨蕎麦を頼んだ。アタシと妹はたぬき蕎麦を頼んだ。
口紅は注文を聞くと奥に下がっていった。

母が口を開く。
「がんばってきちんと生活しなくちゃならん。子供たちは元気か。S男さんは元気か。ちゃんと食わせているか」
母は私に質問した。

私は23年前にS男と結婚し、実家を出て、実家のある山形市の近隣にある仙台市で夫と娘二人とともに普通に暮らしている。
もう、人生の折り返し地点を過ぎただろうか。

一方、母は、もうすっかり年老いた老婆だが、彼女は彼女が中年の頃に、博打打の夫、つまりは私や妹の父と離婚して、引き取った実子である私や妹を滅茶苦茶にいじめながら自由に暮らしてきた。

きちんと生活とは何を指しているのだろう。

私は、母に食事を与えられなかった幼い自分と妹を思い出した。あれは、きちんとしていると言えるのだろうか。一般家庭で多く食べられているおかずを全く知らず、青春時代、どんなに恥ずかしい思いをしたことか。

肉じゃがって何の事?

今日は、妹と一緒に米沢の美術館へ遊びに行こうということになって、妹や母の住む山形市まで仙山線に乗って来た。
話を聞きつけた母が、母の姉、つまりは私と妹の伯母の具合が悪いから見舞いに行けと言うので、伯母がもう長くないとかなんとか言うので、仕方なく伯母の家まで顔を見に来たんだ。伯母の家も山形市にある。

当然のように伯母の家にやってきた母。やがて、見舞いの帰り道、こんな蕎麦屋に一緒に入るなんて。胸糞が悪い。
眩暈だ眩暈。

アタシが黙ると、妹が
「A男ももうすぐ大学生だ~お金がかかって困るけど何とかしなくちゃね~」
などと言って時間を稼いでくれた。

A男は妹の一人息子だ。妹の最初の結婚でできた子。妹はA男を連れ子として二度目の結婚をした。再婚相手T男は、妹の実家の近くに家を建てた。妹の実家とは私の実家で、今は母だけが一人で住んでいる家。
母はとても喜んで、孫のA男をかわいがっていると聞く。そしてT男は母のことをよく面倒をみてくれているようだ。雪が降れば雪かき。病院の送り迎え、買い物。雑用。

「早いもんだね。A男が大学生だなんて」
当たり障りのない返答をする私に、母が身を乗り出してきた。

「それで相談なんだげどよ、アタシも終い支度をする年になったがらよ、いろいろ考えてよ、アタシの老後の面倒はT男一家に頼んでよ、アタシが死んだらあの家をT男一家に譲ることに約束してよ、あかりはY子から幾らか現金をもらって、喧嘩しないようにしなくちゃなんねえ」

あかり・・・私の名前、憶えてんだ。ふ~ん。
Y子・・・・・妹の名前、憶えてんだ。ふ~ん。

母は、私や妹を呼ぶとき、どっちがどういう名前だかを気にしなかった。適当に呼んで、自分の名前じゃないからと返事をしないと怒鳴った。どっちだって同じだろ。関係ない。屁理屈を言うな。何様のつもりだ。金返せ。そもそも、お前には本当に迷惑しているんだ。

個人として一人に一つある名前という持ち物を、母は私たちには否定した。


「あかりはY子から幾らか現金をもらって、喧嘩しないようにしなくちゃなんねえ」

喧嘩?私はY子とほとんど喧嘩らしい喧嘩をしてことがない。喧嘩していたのは、お前とお前の元夫や、お前とお前のたくさんいた彼氏の方だろう。

現金?そうですか、ああそうですか。要するに、老後の面倒を家屋敷の相続と引き換えに妹夫婦にみてもらおうと言うことだね。私は、妹からお金をもらって、相続放棄しろということだね。

勘違いしている。この女は。

あの家を、自分のものだと思っているのが勘違いなんだよ。

あの家はあんたがあんたの夫だった男、つまりは私と妹の実父、と離婚する際に、同居していた家を売った金で買ったんだろう。
同居していた家は、あんたの夫だった男の家の、先祖代々の土地に建っていた。
その駅前の土地は高く売れて、金を分けて離婚し、あんたは今の家を買ったんだろうが。

元はと言えば、今の家の購入資金は先祖代々の土地を売った金でできている。
先祖代々の土地は私と妹にも権利があって、あんたにだけ帰属するわけではない。
あんただけにどうこういう資格があるわけじゃない。
あんたが死んだあと、アタシと妹で相談する話だ。
あんたの介護とは別の話。
勝手に気分の悪いストーリーをつくるな。

T男一家から金をもらえって、そんなこと、アタシがY子の再婚相手に言えるかよ。連れ子をつれた妹と結婚して、妹の実家近くに家を建て、わがままなあんたみたいなのの面倒をみてくれる優しい妹の再婚相手に、金くれなんて、言えないわよ。あんたらしいよ。そういう、人の気持ちがわからないところ。

私が妹の再婚相手T男に金を要求して、もしT男が気分悪く感じたら、T男と妹に微妙な亀裂が生じるかもしれない。妹の幸せのためにそれは避けたい。妹がやっとつかんだ新しい家庭を幸せなものにと私は願っている。妹とは今まで仲良くやってきた。過酷な運命に一緒に立ち向かった仲だ。一生、うまくやっていきたい。あんたなんかのために、台無しにしたくない。

何でY子から金を出させようとするんだよ。金を出すべきはお前だろうが。
私に相続放棄させたいならお前が出すべきだろうが。

お前は、家屋敷を譲るんだからと大きな顔でY子とT男に介護してもらおうという腹だろう。

今更ながら、あんたには愛想が尽きた。
相続放棄ね。
立ち向かってやろうじゃないの。

もう私はあんたに怒鳴られて泣いているだけの子供じゃない。
負けない。

食事を満足に与えられずいつも飢えていたこと、町内のお祭りに友達と出かけても私だけ夜店の駄菓子を買うお金がなかったこと、学校の上履きを買ってもらえなかったこと、成長期で足が大きくなっても大きいサイズの長靴を買ってもらえなくて指が痛かったこと、高校の制服はやっとを買ってもらったがあの怒声、私の名前で奨学金を借りて母がつかったこと、修学旅行に行くなと言われ積立金をもらえず本当に行けなくなりそうだったこと、お前を育てるのにかかった経費を返せといつも言われていたこと、経費には食べる着るだけじゃない、部屋代も含まれると言われたこと、母の生活は派手で、皮のスーツを着たり着物をつくったり毛皮のコートを着ていたこと、普請が好きで家具を買うと合わせて家を改築していたこと、

私は絶対に忘れない。

母は喋り続けている。私と妹は黙っている。胸が苦しい。体は震えた。
口紅がたぬき蕎麦と鴨蕎麦を持ってきた。
母の戯言を無視して食べるたぬき蕎麦は、ぬるくて味が薄くて麺はのびていた。不味い。非常に不味い。こんなに不味いものを客に供す口紅。でもきっと、飢えていた子供時代の私なら喜んだのだろう。

もう飢えていない今の私は、たぬき蕎麦を不味いと思い、母に立ち向かっていける。
それは喜びだろうか。

喜びではない。
苦しみだろう。
でも、立ち向かえ。

今の私は醜い鬼のような顔をしているだろう。でもそれを誇りに思う。
力の限り走ってみせる。



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チョコレートを投げる

母は「栄養のバランス」という感覚の無い人だった。

食べてしまえば無くなってしまうものに、

注意をはらうのはばかばかしいという考えの人だった。


幼いころの食事は、

「ご飯+ふりかけ」「ご飯+ピーナツ味噌」「ご飯+味噌汁」、

必ずこの三種類のうちの一種類だった。


それも、日に三度というわけではなく、一度だったり二度だったり、適当だった。

幼い私にはそれが当たり前で、特別にどうこういう感情は持たなかった。

3歳くらいだったろうか。

母が気まぐれに与える食事を、私は静かに食べた。


しかし、たまに、だが、チョコレートを食べられるときもあった。

家に母の知り合いが来ると、母は、隠しておいた板チョコを私に投げつけるのである。

池の鯉に餌を与えるように、ポンと私に投げつけるのである。


「ああ、これで、うるさくなくなる。お喋りに邪魔が入らない。

チョコレートってのは便利なもんだ、食ってる間は静かだからな」


母は大満足顔でそう言い、知り合いとお茶飲み話を始める。

私は足元の板チョコを拾って食べ始める。


私は、うるさい子どもであっただろうか。


うるさいか、うるさくないか、そのことよりも、

チョコレートを投げられる屈辱に、母が私をうるさいと判断している屈辱に、

泣きたい気分になった。


でも、食べた。言葉は何も発しないで。

チョコレートはおいしかった。


私は、プライドを捨てて実を取ることを学んだ。

もし反抗して争いになればチョコレートを食べられないことにもなりかねない。

そうしたら、空腹の苦しみがやってくる。






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源氏名はお前の名前で

父と離婚後の母は、すぐに生活に困窮した。


離婚時、

住んでいた駅前の家を売却し、借金を清算したあと、山分けして、

母は建売住宅を購入しても、金は幾らかは残ったし、


自分のパート代と、

父から送られるはずだった養育費とで、

何とか生活できるだろうという甘い目論見は全くのご破算で、


はっきり言えば、考えが甘いのである。


パートは、新任の支店長が母を嫌い、いじめられて解雇とされ、

奔放な父は養育費など送るわけもなく、また行方不明になり、

生きるのに必要な金は、手に入らなくなった。


妹の小学校の同級生に「紅花会」の社長がいた。

「紅花会」は、所謂の、酌婦派遣業の会社である。

温泉旅館などの宴会興業の際に、宴会元が旅館にコンパニオン、つまりは酌婦を頼む。

旅館は酌婦派遣業の会社に電話して、酌婦を指定の人数、派遣してもらう。


母は日銭欲しさに、妹の同級生の母親に頼み込んで、酌婦として使ってもらった。

宴会を楽しむ客にビールをつぎ、おだて、世間話をして、愛想笑をする。


今、思えば、立派なプロの仕事だと思う。

一時の気晴らしに、酒に酔う客を楽しませる。

何も、コンプレックスに思うことはない。


ただ、母は、水商売を蔑んでいた。

私が幼い頃は、夜に髪をとかすことをまで忌み嫌った。

水商売の女のようだからやめろと叱った。


母は、イヤだったんだ。

酌婦が、イヤだったんだ。

イヤな仕事をしなければならないのは、自分のせいで、子どものせいではないと思うけれど、

母は、私のせいにした。


子どもを育てるために、衣食住のために、金が必要で、だから、酌婦として出ると思っていた。


母は私を責めた。

泣いて責めた。

「源氏名はお前の名前にしてやる」

と言った。


それで少しだけ、気が晴れたのだろうか。

母は宴会場では、私の名前で呼ばれ、はいと返事をし、酌をしたのである。

母は何度も私に

「源氏名はお前の名前にしてやる」

と言った

「わかったか」

と言った。


何と答えれば良かったのか。


ごめんなさい、か、

ありがとう、か。

ざまあみろ、か。





プロフィール

星 あかり

Author:星 あかり
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