醜さを誇る鬼のように走れ これを絶体絶命と言う
FC2ブログ

これを絶体絶命と言う

ジリジリ凍りつくアタシと歌ったアイドル歌手は誰だったか、どうしても思い出せない。どうしても思い出せないのはなぜか。思い出したいのか。歌って踊って喝采を浴びる歌手。一挙手一投足を覗かれてあれこれ思案される。それは誰か。それはジリジリと凍りついているのか。
私は違うのか。何と違うのか。

私は一人、男の住まいにいて、それは古い3LDKで、男は仕事に出ていて、誰からものぞかれず、更には、壁にかかる室温計は28度を指し、とても私を凍らせるとは思えない。見られないことは私を自由にし、同時に弛緩させる。時間も、時間に伴う食事も、食事に伴う排泄も、排泄に伴うリズム感も、何もかも忘れて、忘れるからこそ、わしづかみに自分を感じられる。ほかの何物からも拘束されない自分を。

ただ、同居する男は、昼間勤務するサラリーマンらしく、朝出かけて、夜帰ってくるから、気配は感じる。いや、気配だけの時もあれば、そびえたつこともある。私が彼を眠らずに認知するときもあるということ。一緒に食事をしたり、一緒に会話したり、一緒に風呂に入るときもある。
いることを気が付いたり気が付かなかったりする。それだけのこと。

この部屋には大きな窓がある。小さなベランダに続くそれは、大きな空を映す。高台に建つこのマンションは、視界を遮るものがなにもない。ええ、たまたまね。
男が置いていったマイルドセブンを一本指にはさみ、100円ライターで火を点ける。青い白い、その空のような煙が、部屋と私の肺を汚すと、くらくらと眩暈がした。

私は今、どんな格好をしているのだろうか。髪はひどく乱れていないだろうか。鏡を見たのはいつのことだったろうか。そもそも鏡なんて、この3LDKにはあるのだろうか。3LDKにある貧相な家具類、そうたとえば、安物のタンスやダイニングテーブル、冷蔵庫やレンジ、そんな物体たちのミテクレと、私の恰好、どっちがどうで、だからどうだというのか。
吸い込んでは吐き、吸い込んでは吐き、規則的にかつ速度早く、すると、あっという間に、フィルター近くまでに煙草は短くなって、私はそこにあるアルミの灰皿にもみ消した。
また眠ろうと思ったが、散々眠ってばかりいるので、眠れないようにも思える。試してみようかと思ったけれど、腹が減っていることに気が付いて、やめた。
薄汚れた畳と大きな押入が陣取る6畳の和室のすぐ隣にある台所は、何年もの間に厚くなった油汚れのタイル壁のシンクがあり、大きな音を立てる冷蔵庫があり、実用本位なデパートの景品だらけの食器棚があり、4人がけのテーブルがある。

遠慮なく冷蔵庫を開けると、腐った牛乳の匂いがした。そこの下のホウレンソウは、溶けている。食べたら、どうなるだろう。マヨネーズとチューブのワサビはあるが、マヨネーズとワサビだけを吸い込むのは、不味そうだ。やってみるのはやめる。シンク脇に放置された花柄の炊飯器でご飯を炊いたら、さぞ良い匂いがするだろう。ただ、米がなければご飯は炊けない。コメを探す。コメ、コメ、ああ、あるわけがない。あきらめて、また、マイルドセブン。そしてそれは、最後の一本。これを絶対絶命と言う。



ランキングに参加しています。よろしくお願いします。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村


スポンサーサイト



テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

星 あかり

Author:星 あかり
****
ご訪問、
ありがとうございます。
自分の記憶などを
書きました。
****

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
ようこそ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR